2006.1.5(水) アマルゴの舞台「エンランブラオ」を観た
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新宿の老舗タブラオ「エル フラメンコ」に、ラ・チナのグループの一ダンサーとして”彼”は参加していた。
その当時ブレイクし始めていたホアキン コルテスを彷彿させるワイルドさ、加えて上体やブラソは流れるような美しさを兼ね備えていた。
可能性のあるダンサーだなと感じ、その将来はとても楽しみであった。
10年前、現在(いま)をときめくフラメンコダンサー”ラファエル アマルゴ”と出会った頃の彼の印象である。
あれから10年後の昨年12月、彼は気鋭のスペクタクル「エンランブラオ」を引っさげ、自らの舞踊団を引き連れて日本に”凱旋”したのである。
彼の作品に関する専門家諸氏のクリティカルな論評にも耳を傾けたいが、昔の”レッスン仲間”として少々ひいき目な視点から見れば、日本でフラメンコのファン、裾野を広げることにとても貢献するであろう公演だったと思う。もっともこの背景として、テレビや雑誌などのマスメディアを通して公演のプロモーションが大々的に行われていたことが大きく寄与したことは事実である。
作品の簡単な概略としては・・
舞台はバルセロナの目抜き通り 「ランブラス通り」
彼自身の振付・演出によるストリートダンス(ブレイクダンス)、コンテンポラリー(愛の表現)、フラメンコ(孤独や情熱)
背景には巨大スクリーンによる火・空気・水・地の映像をシンクロさせている
私の印象は、
一つ一つの振付やダンサーの動かし方などはセンスやアイデアに溢れており、また、ラファエル自身の舞踊性の成長や、リーダーとしての風格も感じられた。
しかしながら、舞台進行が暗転などで切れてしまうため、もう少しバレエの古典に倣って連続した物語性があれば、さらに彼のメッセージや創作意図が観客に明確に伝わったのではないか、というのも作品を観ての印象としてあった。この点は今後に期待したい。
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「相変わらず軽いなぁ・・」
ふと合わせたチャンネルでは(確かTBS系「王様のブランチ」だったかしら?)、ラファエルの特集企画がオンエアされていた。
テレビ的に受けるであろうキャラ-”日本人にとってのスペイン男性的なるもの(あるいはイタリアも。要は「ラテン系」の男性気質)というノリ(あるいは文脈)-に則って、自分を軽いタッチで演じている部分は否めないが、実際の彼もテレビカメラが回っていなくても、そういう傾向を多分に持つ人だ。(もちろんそれが彼の魅力の一部を構成してはいます。)
ただ、ここぞと言うときのラテン気質、の面目躍如で公演中の彼はまさに気鋭のアーティスト、フラメンコに賭けるピュアな情熱は昔と変わらず微塵も失われてはいなかった。
舞台の後ほんのつかの間だったが旧交を温めることができた。これからも”昔のレッスン仲間”のよしみで、彼の成長と勇躍を期待し、蔭ながら応援していきたいと考えている。
2005.8.10(水) ~フラメンコの巨匠達に触れて その2~
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「マノロ・マリン」
マノロ・マリンという舞踊家は、現在活躍中の多くの若手舞踊家から支持を受け、彼らに薫陶を与えてきた「巨匠」のひとりである。日本のフラメンコ界でもその名を知る人は少なくないだろう。
今回のクルシージョには、この今に生きる名伯楽の「手ほどき」を受けたいがために、アイルランド、シリア、オランダなどさまざまな国籍の人々が、数少ない情報を頼りに当地まで乗り込んできていた。
クラスは「人種のるつぼ」よろしく多くの国籍の人が混在し、人種・国境ほか諸々の差異を超えてフラメンコが好きなもの達が集っていることを実感する。青臭い理想論ととらえられるかもしれないが、このようにお互いの好きなものを通して世界中の人々が仲良くなれ、心が通じ合えれば戦争は起こらないのにと、世界の平和を願ったりした。
洋の東西を問わず、レッスン初日は皆自分に自信があり堂々としていてやる気満々である。けれどフラメンコの神様はそんな思い上がりの精神に洗礼を与える。
その虚栄心が取れ素直に向き合うこころが出来た時に、皆々が研ぎ澄まされていく瞬間が私はとても大好きで、そこには羞恥心も愚痴もエクスキューズも通用しない、ただひたすらフラメンコに向かっていくピュアな世界だけが存在する。
2005.5. 24(火) ~フラメンコの巨匠達に触れて その1~
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ヘレスを訪れたのは10年ぶり、街並みに変わった様子はないが、人々の生活にはヘレスなりの変化と文明の進歩があった。街の電気屋には大型テレビが並び、デジカメが売られている。バルなどのトイレも以前よりはキレイになっていた。バルに入ると相変わらずのメニュー-ボカディ-ジョ・ビール・魚のフライetc-日本のように気の利いたメニューはない。
フラメンコのためでなければ決して訪れない街、だと思う。
私が今回ヘレスに来た目的は、年に一度行われているヘレスフェスティバルに参加するためであった。このフェスティバルでは、2週間にわたり、有名なアーティスト達が自らの舞踊団と共に様々なパフォーマンス(作品)を競い合い、また同時並行でクルシージョも開催される。
私は、マティルデ・コラルとマノロ・マリン、二人の巨匠のレッスンに参加した。レッスンは1クラス2時間半、日本でのクルシージョは1時間~1時間半なので、倍近い長さがある。
祈りのようなレッスンのはじまり。マチルデ・コラルは齢70を過ぎておられ、生命や今日も踊ることのできる境遇への感謝が伝わってくる。いろいろな曲を少しずつ行い、ある曲がかかった瞬間、マチルデから放たれるオーラがひときわ輝いた。
そう、アレグリアス。私がいまだかつて観たことがないグラシア、恋する乙女のような表情、あのような想いはどこから来るのだろうか?神様が降りてきたような瞬間、スタジオが幸福の空気で満ちあふれた。
※ マチルデ・コラル-映画カルロスサウラのフラメンコの中で弟子達とアレグリアスを踊っているセビリアのフラメンコの巨匠の一人。
2004.9. 22(水) ~長らくごぶさたしておりました~
アリサフラメンカ第6回発表会まで残すところ2ヶ月を切りました。例年に比べ、舞台を前にした教室全体の雰囲気は穏やかで、生徒達は緊張の中にも和気あいあいとレッスンやリハーサルを楽しんでいるようです。その理由は、曲の完成が早かったため十分な練習がなされたこと、私自身が舞台製作に慣れてきていること、有能なスタッフが増えたことなどですが、一番の理由は、生徒達が心から発表会までの過程を楽しんでいるからだと思います。
私は、生徒に発表会を楽しむ方法として「会は1日だけれど、それは1年半分の練習とフラメンコへの思いがいっぱい詰まった1日だから、普通に通り過ぎていく1日とは違うよ。だからその素晴らしい日を迎えるまでの過程を十分に楽しんでね。」と言います。
今年はオリンピックの年でしたが、皆さんその時受けた感動は今でも鮮明に残っていますか?私も毎晩、アスリート達のパフォーマンスや奮闘ぶりに釘付けでしたが、中でも日本人選手の活躍には感動しました。昔から良くラテン系は本番に強いと言われていますが、確かにスペイン人アーティストでも、リハーサルでは大したことがなくても、いざ本番では何かにとりつかれたように変貌し、物凄い力を発揮する場面をよく目にします。
別の場面では、闘牛や牛追い祭りなどからみても、彼らは命懸けの競技にアドレナリンが増幅するのでしょうか。
プレッシャーに弱いとされてきた日本人選手が、近代オリンピック発祥の地アテネで多くのメダルを獲得され、私達同胞も大変な驚きでしたが、近年の若者はメンタリティがラテン的になったのでしょうか。それとも元来日本人は、根底には熱い血を持ちあわせているのでしょうか。
もっとも、今回のメダルラッシュにはこのような「情緒的な」理由を求めるのではなく、国家や企業による選手に対するバックアップ体制、あるいは優秀なコーチ陣による科学的なトレーニング、日常的な国際舞台の経験などがあいまってもたらされたことなのでしょう。しかし私が強く感じたのは、それぞれの選手達が自身の競技に対して誠実であったことです。
フラメンコでも、本番の舞台で力を発揮するために大切なことは日々の練習に他なりませんが、一番大事なことは「フラメンコに誠実であること」だと思います。この気持ちを持って日々取り組めば、結果はどうであれ、「あ~幸せ!」っと感じることができるでしょう。皆さんの健闘をお祈りします。
2003.10. 22(水) ~フラメンコ留学事情・現地体験クルシージョに思うこと~
ここ数年、練習生でも気軽にスペイン本国へレッスンに行ける世の中になりました。フラメンコを始めた方なら誰でも一度は憧れますね。
私は過去にバレリーナをやっていましたが、外国へ留学したいと思ったのは、夢多き幼少の頃で、大人になり現実を見せられてからは、恐ろしくて留学なんてとんでもない!と、とても行く気にはなりませんでした。自分の醜さをさらけ出すだけですから。
それに比べ、フラメンコは体型も隠せるし、あちらの先生もクリエンテ(顧客)には優しいですから、お手軽留学は人気が絶えないようです。洋の東西を問わず、ディネーロを運んできてくれる方々は、基本的には「お客さん」ですから。
クルシージョでも上級クラスに初心者が交ざっていることが少なくありませんが、クラスの方々にも迷惑になる場合がありますし、アーティストは来るものは拒めないので、受ける側で自らのポジション、現在のスキルをしっかり認識し、今の自分に相応しいクラスを取るよう心掛けたいものです。
私は、良く生徒さん達に「スペイン人に褒められてもお世辞だから」と口を酸っぱくして言うのですが、それでも我々日本人は、あの整った綺麗な顔立ちで「ムイビエン!」と微笑まれたら、たまらないのです。悲しいかな。「西洋人コンプレックス」は、明治の頃からあまり変っていないのかもしれません。
いずれにしろ、これからスペイン短期レッスン旅行をお考えの方は、よーく五感を働かせて見るべきものを見てきてください。
日本の先生方も、場合によってはご自身より生徒の方が数多くスペインへ渡っている場合もあるでしょう。皆さんのご苦労をお察しいたします。
私の場合、「素晴らしいものは素晴らしい、美しいものは美しい」と素直に認める心が好きなので、生徒達がスペインで好きなアーティストに習ってきた振り付けをレッスンに取り入れ、クリーニングしながら、大はしゃぎで楽しませてもらっています。また、習ってきた踊りを見れば一目瞭然で、何を勉強し、どう感じてきたかが分かります。特に、ギターの場合、音色に出ますね。
私は、最近フラメンコ界における自分のポジション(役割)をよく考えます。まず、フラメンコを好きになってくれた生徒さんや愛好家を育てたこと、その中の何人かはスペインへ足を運んでくれて、スペイン経済のお役に米粒くらいはなれたこと、「日本語」でフラメンコや舞踊の素晴らしさを伝えられることなど、これらはやはり神様から与えられた使命のように思います。
そしてこれからも生徒さん達とともに成長し続け、長い年月をかけて丹精込めて育んだ、自分だけの芸術作品を少しでも後世に繋げていければ良いなあ、と思うこの頃であります。
2003.1.27(月) 温度~Temperamento~
「情熱の~」 「魂の~」―フラメンコを飾る枕言葉、あるいはキャッチフレーズとしてすでに人口に膾炙している。いやそれ以上に、ステレオタイプで陳腐化しているという嫌いもなくはない。メディアが作り上げた、この簡潔でイメージ化の容易な文句には賛否両論あるだろうが、小さくはない熱量を伴った舞踊芸術であるということに疑いはない。
「喜怒哀楽」-4つの感情をひと括りにした便利な言葉である。そしてフラメンコ舞踊の持つイメージとうまく符合する日本語のようである。しかし本当に、自分の感情そのままを、そっくり舞踊に反映させて臨むものなのであろうか、仮にそうであるとしたら、見る人に自分と同じように感じてもらうことができるのであろうか?それはすなわち、単純に言えばアレグリであれば楽しく、ソレアーは哀しい気持ちで臨むということになる。
しかし私自身は少なくともそうではない。どちらかというと「無心」に近いようである、基本的には。同時にこの偉大な芸術文化への畏敬の念が常に存在していると思う。そしていざ踊り始めてどんな感情が自分に湧き出してくるかは、やってみなければ分からない。そういうものだと思う。無心から昇華してくる感情、そこから熱さ、すなわち温度のある踊りが生まれてくるのだろう。そしてこの温度が、舞台上だけではなく、見ている方々との空間の共有を許してくれる。単なる独りよがりの感情の押し付けは、当人の意思に反して、残念ながら見るものに何も訴えることはないと思う。
テンペラメント―共演したスペイン人カンタオールがしきりに言っていたっけ。教室の発表会を前にして、この言葉の持つ意味を再確認するこの頃である。
2002.10.27(日) フラメンコにおける「世界基準」
私のお気に入りのバイラオーラが来日すると、好んでそのクルシージョに参加している。これは本場の最先端をゆく舞踊テクニックの、ある意味での仕入れ作業とも言えるのだが、そのプライオリティはむしろ別にある。「フラメンコは、スペイン・アンダルシアが生み、育む偉大なる文化である。」―この一文に否定を唱えるものはおそらくはいまい。しかしこの事実こそが、日本のフラメンコをとらえる上での大きすぎるキーワードでもあると思う。文化とは、一つの定義として、「ある風土に根ざし歴史を越えて受け継がれる有形無形の産物」といえる。そしてここで言う風土とは、アンダルシアの大地であり、そこに生きる人々である。残念ながら、日本ではない。他者の風土に根ざすものをなぜ日本人の私が行っているのだろう・・・。そう何度自問してきたことか。
「フラメンコが好き」
これ以外に答えは見つからないと思う。後にも先にも。
この偉大な文化に、ずっと触れ、関わっていきたい。「かの地」に行かなくとも、いつも出来るだけリアルな空間に触れていたい。以前にもましてそう思うようになっている。今考えれば、バレエをやっていたころにはそんな気持ちになったことはほとんどなかった。フランスやロシアなどヨーロッパのバレエ一流国を意識したこともなかった。おそらくは、バレエが文化ではなく、文明の芸術であるからであろう。そこには確固たる世界基準が存在している。ただ、うがった見方をすれば、バレエは頂点の部分は別として、底辺の部分は日本語で完結している世界ともいえる。世界の一流国に行ったことさえない教え手さえ存在するのだから。
フラメンコは、底辺の部分でも本場―フラメンコにおけるグローバルスタンダード―を意識していないと、まったく違うものになってしまう。リアリティのない、いわゆるフラメンコ風ダンスだ。クルシージョは、私の原点にあるそんな心構えを、ささやかながらも呼び起こしてくれる。彼ら、彼女らと過ごす空間は何にも増して心地よい。
2002.10.5(土) ソロを踊ること。 そしてフラメンコ・・・
この日は生徒二人の舞台に付き添う。共演はカンタオール、ギタリストともスペイン人で、他流試合でのソロということもあり、生徒二人ともかなりのプレッシャーだったようだ。私も、自分が踊る以上に緊張してしまう。親ごころ、というものか。
舞台の大小にかかわらず、ソロを踊るということは、誰にとっても想像以上の重荷を背負うことになる。技術、テクニックを練習により磨くことはとても必要だけれど、ただ、それらを駆使して「上手に」踊ることは、フラメンコの背負った歴史、その重みを考えると、真の「フラメンコ」ではない。つまりテクニックはフラメンコ舞踊にとって必要条件ではあっても、十分条件ではない。テクニックだけの踊りは、観客にとって「上手よねえ」、で終わってしまう。そういう踊りであれば、なにもフラメンコという舞踊ジャンルを使わなくても、もっと流行に乗ったダンスが巷には、あまたある。
フラメンコの「こころ」は、自分の今生きている証しを示し、踊った直後に死んでも悔いはない、という思いを持って舞台に臨む、その心意気にあると思う。この現実を前に、スペイン人、日本人という国籍の垣根はない。決して、ない。日常生活ではそこまでの気持ちを持つのは無理だけれど、少なくとも舞台に、しかもソロで臨む以上は、ギターやカンテと共に創る空間・時間に自らがイニシアティブを発揮し、極限状態を疑似体験する、という姿勢がないと人に感動を与えることはできない。この基本的なフラメンコスピリットは、教え子たちにも伝えて行きたいし、みんなと共有できたら本当に素敵なことだと思う。
この日は、生徒二人ともそれぞれに、それぞれの重荷を背負っていたことだろう。テクニックの未熟さからくる説得力の不足という部分は、今後の練習とそれを続ける高いモチベーション、強い意思が必ず解決してくれる。彼女らにというよりは、自分にそう言い聞かせ、秋の色漂う恵比寿を後にする。